日本の高齢社会の可能性を探る:高齢社会についての談話会

日本の高齢社会の可能性を探る:高齢社会についての談話会

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高齢社会と多死社会

高齢社会と同時にやってきた多死社会に対して準備する動きが様々なところで起きてきた。多死社会とは、多くの人が死ぬ社会ということで、高齢者人口が増えれば、社会における死の数も増えるわけである。

多くの人が年老いても元気に生きれることが重要であるが、人間である限りはいつかは死を迎える。この死を迎える時期がエンディングやターミナル期、そして終末期など、様々な名称で呼ばれ、分野によっても様々な定義がされている。

ここでは死を迎えるための準備などをはじめ、死を迎えるまでの時期をターミナル期と呼ぶことにする。医療やケアの有無などは関係しないで考えたい。

このターミナル期は、人それぞれ長短がある。それは健康状態や死因が違うからというわけではない。ターミナル期は高齢者本人が「死を意識して、何らかの準備をする」という精神的な成長を遂げ、さらに、準備行為が当人の行為の中で相対的に多くを占めるようになる時期が人それぞれ違うからである。このような自らの死への意識を若者が持てば、ターミナル期は長くなるが、しかし、ターミナル期における死への準備以外の行為が相対的に多ければ、ターミナル期とは呼べない。

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